東神戸教会
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メッセージ   2008年のメッセージ



『 それぞれの役割 』 出エジプト記7:1−7(1月13日) 
 
私の心の中には、ある種「ふざけた考え方」が宿っている。 
「人はみな、それぞれの役割を与えられて 
『やり直しのきかないゲーム』に参加している、ゲームのプレーヤーなのではないか?」 
そんな視点で自分の生きる現実や世界をながめる、という感覚だ。 
 
これがある意味で、とても危険な考え方であることは分かっているつもりだ。 
そこでは、戦争も犯罪も、収奪も差別も、全部「現状肯定・現状追認」になってしまうからだ。 
しかし時と場合によっては、そんな感覚を持つことで支えられることもあるのではないか。 
「辛い現実があるから、もうダメだ…」とならずに、 
「辛い現実を、さぁどうやって生きてみようか」 
そんな風に押し出されていくこともあるのではないか。 
 
モーセの召命物語の中で、民族解放を命じる神の言葉に対して 
「話すのが苦手な私には、とてもそんな大仕事は負えません」と拒むモーセ。 
すると「代わりに語る役割」として兄のアロンがつかわされる。 
モーセには「神の言葉を聞き、決断する」という役割が託される。 
 
ところが続いて神は理不尽にも思えることを言われる。 
「わたしはファラオの心をかたくなにする。ファラオはあなたたちの言うことを聞かない」。 
神さまはいつも自分の味方、いついかなる時にも100%自分に有利に働いて下さる・・・  
そういう前提に立つならば、これは理不尽な言葉だ。 
 
しかし現実には、何事も自分の思うように運ぶわけではない。 
考え方をひっくり返して見てはどうだろう? 
「神さまは、ファラオにもひとつの役割を与えられたのではないか…」と。 
神の定められた壮大なゲームの中を、 
それぞれの役割を用いながらどうやって状況を乗り越えていくか、ということだ。 
 
私たちの人生にも、時に自分と対立し、自分の歩みを阻止しようとする人が現れることがある。 
当初私たちはその存在を疎ましく思い、否定的に受けとめてしまう。 
しかしその感情をいだいたままだと、その対立は埋まらない。 
相手を排除するか、それとも自分が切り捨てられるか、というところに行き着いてしまう。 
 
でも、「その人にも役割が与えられている」と考えてみてはどうだろう。 
ひょっとするとその人は、自分がわがまま・自分勝手にならないように 
立ち現れてくれた人なのかも知れない...。 
「現実は思い通りにはならないのだ」ということを教えるために、 
そしてそう感じることによって心に幅と奥行きを与えてくれるために、 
敢えて立ちふさがってくれた人なのかも知れない...。 
そんな風に考えると、また違った歩みが導かれていくのではないか。 
 
日々出会う様々な人々、その存在の背後に神が与えられた「それぞれの役割」がある―。 
そんなことを見つめながら、人生を味わう者でありたい。 




『 いのちを祝う 』 (震災を憶える礼拝)   コリントの信徒への手紙 U 4:7−11(1月20日) 
 
1月17日は、震災の時に神戸の町を覆った「非日常」を感じながら過ごす一日である。 
しかし一方、街の雑踏は平日の買い物客の賑わいを見せ、 
多くの人の「日常」がそこにあることも感じた。 
 
毎年、この震災を憶える礼拝では、震災を契機に生まれた賛美歌以外の歌をうたってきたが、 
今回選曲にあたって意識したのは、あの「非日常」を「忘れない」という内容の歌ではなく、 
あの日以降始まった「日常」を「いかに生きるか」、 
そんなメッセージを持った歌を選ぼう、ということであった。 
 
これは過去を思い起こすことを「もうしない」ということではない。 
それはこれからも大切な営みであろう。 
しかし、過去へ向かう歌ではなく、生きるべき「今」、 
その日常の歩みに向かって希望を抱ける歌をうたう時があってもいいではないか、ということだ。 
 
1月17日を「○○の日」と名付けるとしたら、どんな言葉がふさわしいか、考えてみた。 
「慰霊の日」「追悼の日」「防災の日」...。 
ふと浮かんだのが「いのちを祝う日」という言葉であった。 
 
あの未曾有の出来事が教えてくれたことのひとつは、 
「人のいのちは、とても脆く、はかないものだ」ということ。 
私たちは神さまからこのいのちという宝を、 
壊れやすい「土の器」に納めるものとして与えられている、ということだ。 
しかし「はかなさ、脆さ」がある故にこそ、 
このいのちは「かけがえない」という思いも生まれてくる。 
 
わたしたちは偶然の産物でもなく、当然の権利としてここにいるのでもない。 
くずれやすい土の器の中にいのちを与えられた「奇跡の存在」である...。 
自分と他者のいのちをそのように受けとめて「いのちを祝う」。 
その営みを大切にしたい。 




『 裏切り者に囲まれて 』   マタイによる福音書26:26−30(2月10日) 
 
聖餐式の執行方法(洗礼を受けていない人が聖餐にあずかれるかどうか)をめぐって、 
いま日本キリスト教団の中で意見の対立が際立ってきている。 
このことについては、昨年11月11日の礼拝でも取り上げた。 
そこで確認したことは、聖餐式の式文に引用される「ふさわしくないままで」という聖書の言葉は、 
「未受洗者の陪餐」とは直接関係ないものだということであった。 
 
今日は聖餐式の原型とも言われる、イエスと弟子たちとの「最後の晩餐」の場面である。 
この食事はただの夕げ(ゆうげ)ではなく、 
ユダヤ人にとって大切な「過越の祭り」の中の特別な食事であった。 
出エジプトの出来事を記念する過越の祭りは、 
ユダヤ人にとって救いの原点であり、過越の食事は大切な儀式でもあった。 
 
その食事の席でイエスが言われた言葉は、とてもショッキングなものだった。 
「この食卓を囲んでいる者のひとりが、私を裏切る」と言われたのだ。 
後にイエスを裏切ることになるユダ。 
その心の気配を、イエスは気付いておられたということなのだろうか。 

聖餐式の直接の起源となる所作と言葉が語られるのは、その直後のことである。 
「取って食べなさい。これ(パン)は私のからだである。 
 飲みなさい、これ(ぶどう酒)は私の血である」。 
そのときユダはどうしたのだろうか。 

イエスは「裏切る者は出て行け」とも 
「裏切る者はパンと杯を取るな」とも言われなかった。 
ユダもパンを食べ、杯を飲んだ。 
裏切り者を排除しない形で、最初の聖餐式は行なわれたのだ。 
 
「裏切り者」ということで言えば、他の弟子たちも似たり寄ったりである。 
ペトロは肝心なとき「あんな人のことは知らない」とイエスを否認した。 
他の弟子たちもイエスを見捨てて逃げ去った。 
いずれも弱い人間の姿である。 

「ふさわしくないままで...」と言われれば、みんなふさわしくない。 
でもイエスは「そんな弱いあなたがたでいいから、私のことを覚えておいてほしい」 
そう願い、パンを分け、杯を回された。 
イエスは線を引かれなかった。 
 
私たちは、生きる上でどうしても線を引いてしまう。 
自分を確認するために。あるいは何かを守るために。 
しかし、神さまが私たちを招いて下さる、そのことについては、 
できることなら線を引かずに生きる者でありたい。 
 



『 よい世話役、わるい世話役 』   マタイによる福音書24:45−50(2月17日) 
 
世の中のあらゆる組織やグループには、「世話役」の立場の人間が存在する。 
自分の好みだけを基準にするのではなく、 
全体の利益を考えて、文字通りお世話をする役割。 
5人に一人そういう役回りを引き受ける人がいれば、たいていの組織はうまくゆく。 
しかし近年、その割合が少なくなっており、 
それが社会全体のひずみになっていることが指摘されている。 
 
十字架前夜のイエスの最後の教えが続く聖書の箇所である。 
やがてきたる「世の終わり」にどう備えればよいか、 
それをイエスは「よい世話役と、わるい世話役」のたとえを通して示される。 
 
主人が旅に出ていつ帰ってくるか分からない、そんな家の世話を任されたふたりの僕。 
ひとりは時間通り人々に食事を与え、世話をする「よい世話役」である。 
 
もうひとりは仲間を殴ったかと思えば酒飲みたちと飲み食いする、 
つまり、みんなに配慮することをせず、分け隔てをして仲間を分断する「わるい世話役」。 
特権を利用して分け隔てをし、ある人々を否定・排除してしまう人間の姿を映し出すが、 
そんな「わるい世話役」になる可能性は、実は誰もが秘めているのではないか。 
 
この「わるい世話役」が、イエスの時代の立法学者・ファリサイ派といった 
宗教指導者への批判であることは明らかである。 
だとするならば、この教えを一番心して聞かねばならないのは、 
教会の中では、牧師・教師といった立場の人間なのかも知れない。 
 
ひとりひとりに配慮し、みんなに心砕き、 
自分の利益よりも他者の利益を求めることのできる人。 
そんな「よい世話役」を目指すことが大切である。 
 
しかし、一方で思うことがある。 
「ひとりひとりに配慮する」ということと、 
「ひとりひとりの要求をすべて受け入れる」ということは、 
似ているようで実はぜんぜん違うことなのではないか?と思うのだ。 
 
世に「クレーマー」と呼ばれる人がいる。 
まっとうな批判ではなく、個人的なわがまままで「当然の権利」として要求する人々。 
そんな人に対しては「それは違うよ」と言えること。 
それも「よい世話役」に求められる、大切な資質と言えるのではないだろうか。 
 
むかしよく通った、『駄菓子屋のおばちゃん』を思い出す。 
たとえ「お金を持ったお客様」であったとしても、 
傍若無人にふるまう「ガキ」に対しては、決してお菓子を売ってくれなかった。 
「あんたみたいなわるい子には、なんぼお金もろても売ってあげへんで!」 
そう言って叱ってくれた。 
あの駄菓子屋に通った子どもたちはみな、そこで大切な「何か」を教えられたと思う。 
あのおばちゃんは「よい世話役」だった。 
 
イエスが望まれたこと、それはわたしたちひとりひとりが「よい世話役」となることだ。 
ひとりひとりを受け入れながら、時に共感し、時に感動を共にし、 
また、時には問いかけ、時に対決し、時に叱り、 
本当の意味で、みんなが神のまなざしの下で成長していくことを願う。 
そんな「よい世話役」となれることを目指して歩みたい。 
 
 


『 生身の人間からの問いかけ 』   マタイによる福音書26:36−46(3月9日) 
 
讃美歌438番「若き預言者」は、 
イエス・キリストの十字架への道を歩む生涯を歌った、すぐれた讃美歌だと思う。 
しかし、5節の言葉に少々引っかかるものを感じる。 
「恐れを知らぬ、主なるイエスよ...」と歌われるのだが、 
はたしてイエスは本当に恐れを知らなかったのか?と思うのだ。 
 
十字架の前夜、弟子たちとの最後の晩餐の出来事のあと、 
イエスはエルサレム神殿の東にあるゲッセマネの園でひとり祈られた。 
この場面を読む時に、 
私はのん気に「恐れを知らぬイエスよ...」などとは歌えなくなるのを感じる。 
イエスは「私は死ぬばかりに悲しい」と言われ、 
「主よ、できることならこの盃を取り除いてください」と祈っておられるのだ。 
 
十字架とは、ローマ帝国における死刑執行の道具である。 
イエスは自分の行く道の先に、十字架が待ち受けていることを知っておられた。 
つまり、秩序や律法よりも人間の存在を大切にするといった、 
イエスのような生き方を続けていたのでは、 
いずれ力を持つ人々によってつぶされてしまうことを予感しておられたのだ。 
 
イエスは平気だったのだろうか? 
いや、イエスも恐れておられたのだ。 
ゲッセマネの祈り、それは生身の人間の苦しみ悶える姿に他ならない。 
十字架への道 ― それがどんなに世の中に必要なものであったとしても、 
その道を歩む本人にとっては、とても厳しく辛いものであった。 
 
しかしイエスは、祈りの最後にこうつけ加えられる。 
「わたしの思いではなく、みこころのままに」。 
正直言えば私もつらい、できることなら行きたくない、 
しかしこの道を進むことが神のみ心ならば、その道を歩ませて下さい...。 
イエスはそう祈られた。 
そして逃げずに十字架へ向かわれたのである。 
 
私たちとは別格の、鉄の意志を持った超人がそのようにした、のではなく、 
私たちと同じ生身の人間、悩みも恐れも抱いた人間が、 
祈る中から十字架に向かって歩んでゆかれた。 
ここに問いかけが生まれる。 
 
「はたしてあなたはどう生きるのか」と。 




『 小さなイエスの誕生 』   ヘブライ人への手紙13:7−13(3月23日 イースター礼拝) 

イースターは、教会にとって存在の根拠とも言える大切な祝いの日である。 
にもかかわらず、現代人にとってこの日を受けとめるのは、 
なかなか難しい事柄だと言えるであろう。 
「死者の復活」という出来事は、 
私たちの時代の科学や医学の常識では、あり得ないことだからだ。 
イースターの出来事は、現代に生きる私たちにとっては、大きな謎である。 
 
ではそのことを伝える聖書の言葉をどう受けとめるか。 
そこに「解釈」が生まれる。 
私がたどり着いたひとつの解釈は、 
「人のいのちは肉体の死を越えて続くことがある」というものである。 
 
だがそれは「霊魂不滅の思想」や「生まれ変わりの信仰」というものとは違う。 
いわば「いのち」という言葉の意味を、 
DNAや細胞活動による生命体の営みのレベルにおいてではなく、 
人と人との関係性の中に起こる「物語」のレベルにおいてとらえようとする考え方である。 
 
イエスの亡骸の復活、肉体のよみがえりが本当にあったことなのかどうか。 
それは今となっては確認しようがない事柄である。 
しかし「イエスのいのちは終わっていない。 
イエスはよみがえり、今も私たちを導いてくださるのだ!」 
そう信じた人々がいた。 
これは事実である。 
 
そしてその信仰が、彼ら一人ひとりの生き様を新しく作り変えていった。 
力あるものを恐れ、一旦はイエスを見捨て、逃げ去った人々が、 
迫害をも恐れずイエスの出来事を語り伝える者となった。 
そこにイエスの「いのち」が引き継がれていった...。 
イースターとはそのような一連の出来事を意味するのではないだろうか。 
それはいわば、「小さなイエスの誕生」という出来事である。 
 
ヘブライ書には「イエスは民を聖とするために、門の外で苦難に遭われた。 
だから私たちも宿営の外に出てイエスのもとに行こうではないか」と記されている。 
イエスと「まったく同じ」生き方など、とてもできないかも知れない。 
しかし、その後に従い、「小さなイエス」にならなれるのではないだろうか。 
 
末期がんの状態を押して、最後の授業を行なったある中学の先生がこう言われた。 
「話を聞いてくれた人の中に、火種が残ってくれたなら、私は第2の人生を生きられる」。 

私たちもイエスの残された火種を心にともしながら、新しく生きるものでありたい。 





『 痛みをもって恵みを受ける 』  出エジプト記13:11−16(4月13日) 
 
「過越の祭り」は、イスラエル民族にとって神の救いの出来事を記念するお祭りであり、 
ユダヤ人の信仰の原点を後世に語り伝えるものである。 
しかし、その過越の出来事は、実に生々しい内容だ。 
解放の許可を出さないファラオを懲らしめるために、 
エジプト中の初子(長男)が神に打たれて死んでしまったというのである。 
 
自分たちの解放と引き換えに、 
たとえ敵対する関係であったとは言え、多くの幼な子が死んでいった。 
そのことを素直に喜べただろうか。 
心ある人はとても複雑な思いでその事柄を受けとめたのではないだろうか。 
「神の救いを受けるということは、 
ただのん気に喜んで受けるわけにはいかないものがある...。」 
そんなことをこの物語は告げているように思う。 
 
過越を記念する儀式について定められたのが、今日の聖書の箇所である。 
新しく約束の地で生活を始める人は、 
あらゆる初子を犠牲としてささげなさい、と命じられている。 
新生活を始める人にとって、大事な家畜(財産)を屠ることは大変な痛手だったはずだ。 
しかし、その痛みを伴うことをもって神の救いの恵みを受けなさい、というのが、 
これらの儀式が定められた意味なのではないか。 
 
私たちがイエス・キリストの救いの恵みを受けるという時にも、同じことが言える。 
キリストの恵みを受けるところには、 
実はイエスの十字架の痛み・苦しみがあったことを忘れてはならない。 
「あぁうれしや、ありがたや...と、のん気に喜ぶだけでその恵みにあずかっていいのか。 
私たちもまた、痛みを覚えながらその恵みにあずかるべきではないのか...」 
そんな問いを自分自身に向けることが大切なのだと思う。 
 
ナチスに抵抗し獄死した神学者・ボンヘッファーの言葉。 
「悔い改めと罪のざんげを欠いたゆるしだけの恵みは『安価な恵み』である。 
十字架の主に従うことを必要としない恵みも『安価な恵み』である。 
恵みは本来、高価なものである。 
なぜならそこには、キリストのいのちが犠牲となっているのだから」。 
 
私たちは安価な恵みを受けることに甘んじてしまってはいないだろうか。 
「それでもいいじゃないか。痛みを伴うなんて、誰だってご免こうむるさ...。」 
そう言い切る立場もあるのかも知れない。 
しかしそのような受けとめ方では、決して本当の恵みにはならない。 
なぜなら、安価な恵みを気軽に受けるだけの歩みの中からは、 
自分自身が作り変えられるという体験は決して出てこないからだ。 
 
私たちを内側から作り変え、本当の救いへと導いてくれるのは「高価な恵み」である。 
だから私たちも、「痛みをもって恵みを受ける」ということを大切にしてゆきたい。 
 



『「備える」ということ 』   マタイによる福音書25:1−13(4月20日) 
 
いつ帰るかわからない家族を待つことや、 
いつ来るかわからない客人の到来を待つことは、 
なかなかストレスフルな体験である。 
そこには忍耐と緊張が求められる。 
だが私たちはその状態に延々と耐えられるほど強くはない。 
 
そのストレスのかかることを命じられるのが、今日のイエスの教えである。 
24−25章にまたがる「終末に備える心構え」の中で語られたひとつの喩え話。 
花婿の到来を待つ10人の花嫁のお話だ。 
 
ユダヤでは婚礼の祝宴は夜行なわれた。 
花嫁の家まで花婿が迎えに行き、 
夜道を行列を作って会場に出かけていくというスタイルである。 
喩えの中の花嫁たちは、花婿の到着が遅れたために、みんな眠り込んでしまった。 
真夜中になって花婿が到着する。 
5人の賢いおとめはともし火の油を用意していたが、 
5人の愚かなおとめは油を用意していなかった。 
 
この聖書の箇所の背景には、 
「再臨遅延」の問題に向き合うマタイの時代の教会の課題が反映されていると言われている。 
初代教会の信徒たちは「復活のキリストが再び来られ、 
最後の審判が行なわれる日がすぐにやって来る」という信仰を持って生きていた。 
しかしいつまで待ってもその日は来ない。 
苛立ちを感じる信徒たちに 
「その日はいつ来るか分からない。ただ備えていなさい」と教える必要があったのだ。 
 
花婿が遅れているように、再臨も遅れている。 
油を用意しなかった愚かなおとめとは、 
「再臨は近い!」と自分の思い通りの展開を予測し、備えのできなかった人のことであり、 
油を用意した賢いおとめとは、思い通りにならない展開も予測し、 
備えのできる人のことだと言える。 
 
最後にまとめるように「目を覚ましていなさい」と語られている。 
しかし人間は強くないので眠ってしまうこともある。 
それはそれでいいのではないかと思う。 
大切なのは「備え」をしているかどうかである。 
 
ではその「備え」とは何か? 
この喩えからは分からない。 
続く箇所にそのヒントがあるので、このつづきは次回に...。 




『 失ってもよいのです 』   マタイによる福音書25:14−30(4月27日) 
 
昔から大きな買い物ができず、思い切ったお金の使い方ができない私にとって、 
今日の箇所のたとえ話は子どもの頃から腑に落ちない思いで読んできた。 
 
よく知られたタラントンのたとえである。 
5タラントン預かった僕はあと5タラントンを儲けて主人にほめられる。 
2タラントンの者も同様に。 
ところが1タラントンを無くさないように土に埋めておいた僕は厳しく叱られる。 
「なんでー?この人手堅いじゃないの...!?」そう思えて仕方なかった。 
 
ルカの同じ喩えでは、主人はただ財産を預けたのでなく 
「これで商売しなさい」と語っている。これならば少し意味合いが変わってくる。 
問題は、財産を増やしたか、減らさなかったか、ということではなく、 
それを用いたかどうかが大切なのである。 
 
イエスが語られたのは、商売に関する教えではない。 
ここで言われているのは、 
私たちひとりひとりの人間の生き様・生きる姿勢のことである。 
タラントンとは「賜物・能力」とも訳せる言葉であり 
「TVタレント」の語源でもある。 
主人=神さまは、ひとりひとりにその力に応じて、それぞれの賜物を与えられた。 
大切なのはそれを活かして用いようとするかどうかなのだ。 
 
土の中にタラントンを埋めておいた僕というのは、 
賜物を授かりながらそれを用いようとしない人の姿である。 
 
この人にももちろん言い分はある。 
「そんなこと言って、もし失敗したらどうするの? 
財産を無くしてしまったら元も子もない。 
それならば土に埋めた方が安全ではないか…」。 
 
確かに手堅い生き方ではある。 
しかしその手堅さの奥底にある感情とは何か。 
タラントンそのものを大切に思う気持ちではなく、 
それを与えて下さった方(神さま)のことを思う心情でもない。 
 
それは失敗をして自分が傷つくことを恐れる心、 
つまり自分を守ろうとする心である。 
「それは神さまが最も悲しまれる生き方だよ...」 
それがイエスのメッセージだ。 
 
そこで、最後にイエスが語られなかった問いを立ててみたい。 
財産を無くしてしまったら、失敗してしまったらどうなるか。 
「それでも神さまは、賜物を用いようとしたことを褒めて下さる」 
イエスならそう言われたであろう。 
 
「失っても、失敗してもよいから、あなたの賜物を活かして用いなさい...」 
神さまはそのように言ってくださる方であると信じて生きる者でありたい。 
 



『 神の導かれる道 』    出エジプト記13:17−22 (5月4日) 
 
世の中には「パック旅行」といった旅行の形態がある。 
ツアーコンダクターが手際よく導いてくれて、 
ムダなく見どころを回ることができる。 
それに比べ、見知らぬ土地を自分で考えて歩く「フリープラン」は、 
時間も労力もムダの多い旅と言える。 
しかしそこには、またそれなりの面白さもあるものだ。 
 
私たちの人生の旅路は、どのような旅だろう。 
「パック旅行」のような、 
事前に組まれたプランをひとつひとつこなしていく計画通りの旅だろうか? 
むしろ思い通りいかず予定変更もしばしば訪れる、 
「フリープラン」のようなものではないだろうか。 
人生とは、思い通りいかないこともたくさんある、そんな旅路だと思うのだ。 
 
出エジプト記の学び続けているが、 
物語はいよいよイスラエルの民がエジプトの地を後にする場面である。 
「大いなる神の救い」「奴隷からの解放」「自由への旅立ち」... 
映画ならばそんなキャッチコピーが似合うような劇的な旅立ちの時。 
ところが神は人々を「約束の地」カナンに向かう近道へと導かず、 
敢えて荒野へと迂回させられた、と記されている。 
 
さらに驚くべきことに、神はさらに人々をシナイ半島の荒野へと導かれ、 
大きく迂回路を取らされた。 
聖書によるとその旅は、何と40年の長きにわたったと言う。 
「神の救いの出来事」を期待と希望を抱いて待ち望む人々。 
しかし神は、人々が思い描く理想の道・予定通りの道ではなく、 
思っても見ない予想もしていなかった道へと迂回させられた。 
しかしその困難な道を歩むイスラエルの民を、 
神は常に「火の柱、雲の柱」によって導かれた、と記されている。 
 
「神の導き」とは何だろう? 
神を信じれば、自分の思い通りの満足が得られるということだろうか? 
どうも違うような気がする。 
神を信じても、ちっともいいことが起こらない、 
そんな中を歩いて行かなければならないこともある。 
しかし私たちは決してひとりでその道を辿るのではない。 
私たちには常に雲の柱、火の柱が与えられている ―  
そのことを信じる信仰を求めたい。 
 



『 すべての心に風を 』   使徒言行録2:1−4(5月11日) ペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝 
 
完全に密閉された建物には風の入る余地はない。 
しかしどこかにすき間があると、そこから風は吹き込んでくる。 
風の働きは、神出鬼没である。 
 
ペンテコステの日にも、 
弟子たちが集まった部屋に風が吹いてきたような音がした、と書かれている。 
きっとどこかにすき間があったのだろう。 
そしてその風こそが、不思議な神の導きであったというのだ。 
 
少し見方を変えて、彼らの心のありようを想像してみよう。 
集まっていた弟子たちの心の中も、すき間で一杯だったのではないだろうか。 
十字架に架けられるイエス・キリストを見捨てて逃げ去った弱い自分の姿。 
そして、どん底の悲しみからは解き放たれたイースター(復活日)の体験こそあれ、 
今度はイエスなしで自分たちで歩んで行かなければならない心細さ。 
そんな「破れた思い」が心のあちこちにあって、 
すき間だらけだったのではないかと思うのだ。 
そのすき間目がけて、風=聖霊の導きが注ぎ込んできたのである。 
 
ではその風は、弟子たちにだけ吹いてきたのだろうか? 
いや、風がどこからともなく吹いてきて、どこへともなく去ってゆくように、 
弟子たちの周りにいる人々にも、きっと風は吹いていたに違いない。 
しかしその人たちは聖霊の導きを受けなかった。なぜか? 
それは心にすき間がなかったからだ。 
 
勇気を持って語り始めた弟子たちの姿を見て、 
「何だこいつらは。きっと酒にでも酔ってるんだろう」と揶揄した人々がいた。 
「自分たちは完璧である。自分たちは誤りがない。誰の助けも借りる必要がない」 
そんな風に心の壁を高くしている人には、風の吹き込む余地がない。 
 
しかしそんな人にも、本当は「弱さ」があるはずなのだ。 
その弱さを認めるとき、その心に風が吹き込んでくる。 
「すべての心に風を」と祈りたい。 
 



『 見えないものを信じる心 』  ヨハネの手紙 T 4:7−12 (5月25日) 
 
「わたしは目に見えるものしか信じない!」という人がいる。 
たとえば、「人のまごころなんてものは信じない。 
信じられるのはお金だけだ。」という考え方がある。 
もっともらしく思える考え方にも思えるが、よくよく考えてみるとおかしな点がある。 
 
お金が価値があるのは、ほとんどの人が「お金には価値がある」と認識しているからであり、 
そしてそのお金の価値を国家や銀行が保証しているからである。 
それらの認識や保証がなければ、お金には何の価値もない。ただの紙切れである。 
この「認識」や「保証」といったもの、それは目には見えないものである。 
 
私たちが生きる上で大切なものは、しばしば目に見えない。 
たとえば「空気」は目に見えない。 
酸素、窒素、二酸化炭素といった気体がバランスよく混ざり合っていることによって 
私たちはいのちを明日へとつなぐことができる。 
しかしその中の二酸化炭素の割合が少し変わるだけで、 
自然界は大きな打撃を受けたりする。 
 
「愛」というものも目には見えない。 
「見える形で表される愛でなければイヤ!」そう言ってプレゼントを要求する人もいるが、 
そういった物に表されるのはその人の愛のほんの一部分でしかない。 
人が人を大切に思う気持ち、それが愛というものなのであり、 
それは見えない形で注がれるものである。 
 
信仰とは「見えないもの・証明できないものを信じる心」のことである。 
見えるもの・証明できるものだけを信じる、というのは、 
実は「確認している」のであって、「信じる」ということではない。 
見えないから、証明できないから、だから「信じる」のである。 
 
風もまた目には見えない。でも確かに風は吹いている。 
昔の人はその風の中に神の導きを感じて生きていた。 
「神さま」も目には見えない。 
でも「神さまはおられる」 ― そう信じて生きるところには、 
信じないのとは違った生き方が導かれることであろう。 
 
「見えないものを信じる心」を大切に生きてゆこう。 
 



『 しんせつなともだち 』  マタイによる福音書25:31−46(5月25日) 
 
聖書にはいつか訪れる世の終わり(終末)のことが記されている。 
そこでなされると言われている『最後の審判』に対して、いかに備えるか。 
これは初代教会のクリスチャンにとって喫緊の課題であった。 
少し前の「10人のおとめ」のたとえ話では、 
「予備の油を用意すること=備えをすること」が大事だと語られる。 
ではその「備え」とは何か。 
これに答えるのが今日の箇所と言える。 
 
とてもよく知られたたとえ話である。 
この箇所を元に文豪トルストイは「靴屋のマルチン」という短編を記した。 
夢で「明日、あなたのところへ行くよ」と言われたキリストを待ちながら、 
身近な人々への親切な行動を起こしたマルチン。 
身近な人々への小さな親切が、実はイエスへの親切であった、というお話だ。 
この短編の元のタイトルは『愛あるところに神もおられる』。 
「これらの最も小さい者のひとり」に愛と思いやりをもって接すること、 
それが「油を用意する」ということなのではないだろうか。 
 
こどもたちに昔から親しまれてきた『しんせつなともだち』という絵本がある。 
ウサギが食べ物を探しに行って、カブを二つ見つける。 
ひとつを食べてもう一つはロバにあげようと思う。 
このカブが、ロバからヤギに、ヤギからシカに、 
そして最後にウサギに戻ってくる...。いい話だ。 
「油を用意すること」それは大それた立派なことをするのではなく、 
この「しんせつなともだち」の輪の中に入れるような生き方を 
目指すことではないか。 
 
ただひとつ、大切なことがある。 
イエスの「最も小さな者にしたのは…」のたとえ話で、祝福を受けた人々は、 
それがキリストへの親切であったことを「知らなかった」ということだ。 
ウサギもロバもヤギもシカも、親切にすれば見返りがあるからしたのではない。 
ただそうすることが「うれしかった」。そうすることが喜びだった。 
見返りを求めない人への思いやり、人を大切に思うこころ。 
それこそが本物の愛なのである。 
そのような愛があるところに神もおられる ― それ自体が「救い」なのである。 
 



『 大いなる救いのわざ 』  出エジプト記14:15−18(6月1日) 
 
出エジプト記前半のクライマックス、『葦の海の奇跡』と呼ばれる出来事である。 
一旦はイスラエル民族の解放を許可したファラオであるが、 
その後それを後悔し軍勢を差し向けて再度捕らえようとする。 

前は海、後ろはエジプトの軍隊。追い詰められたイスラエルの人々...。 
しかしその時、モーセが海に向かって杖を差し出すと、 
海の水が割れて道が現れ、人々は対岸へ渡ることができた。 
エジプトの軍勢も後を追ってきたが、 
岸にたどり着く前に海の水が戻り、飲み込まれてしまった...。 
 
映画などでもよく知られた名場面であるが、 
このような出来事が本当にあったのか、にわかには信じ難い荒唐無稽な話である。 
しかし文字通りとらえるのでなく、「もうダメだ」と思えるような困難な時でも、 
神さまは思いもよらない形で救いを与えて下さる方である... 
そんなメッセージをこの箇所から読み取ればよいだろう。 
 
しかし聖書は「このようにして神の大いなる救いのわざが表された。 
めでたし、めでたし...」ということで終わってはいない。 
その救いを受けるべく招かれた人間の、 
しかしその恵みにはふさわしくないと思える姿を赤裸々に記録するのである。 
 
海辺でエジプト軍に追い詰められた時、人々はモーセに向かって言った。 
「どうしてこんなところに連れてきたんだ! 
こんなことになるならば、エジプトに残った方がましだった...」。 
自分たちの救いのために多くの努力を重ねてくれたモーセなのに。 
人間の身勝手さがにじみ出る言葉である。 
 
この身勝手さは、この後も度々現れたことを聖書は隠さず書き記す。 
そして読者の問いかけるのである。 
「あなたも同じことをしてしまってはいないか?」と。 
 



『 冷たい正論を語るよりも... 』 マタイによる福音書26:6−13(6月8日) 
 
学生時代、クリスマスの祝会前にアフリカの飢餓問題の話をしてしまい、 
雰囲気を気まずくさせてしまったことがあった。 
「シマッタ...」と思ったその空気を救ってくれたのが、 
その教会の牧師のひと言だった。 
 
「イエスは確かに貧しい人の友となられた。 
しかし一方では金持ちとも交わられた。 
その全生涯を通して示されているのは、 
我々人間はしかめっ面をするために生まれてきたのではなくて、 
与えられた人生を生き生きと喜ぶことが大切だということ。 
さぁ、だから今日は楽しく過ごそうじゃないか」。 
 
続いて牧師の奥さんが言われたひと言も印象深かった。 
(彼女はパイプオルガンの演奏の名手でもあった。) 
「パイプオルガンとか、ステンドグラスって、高価な物よね。 
『ぜいたくだ!』って言われることもある。 
でもわたし思うんです。パイプオルガンもステンドグラスも、 
『ナルドの香油』なんじゃないか、って」。 
理想論を振りかざすトンがった学生を諭すように、 
優しく言われた言葉が今でも心に残っている。 
 
ひとりの女性が高価なナルドの香油をイエスの頭に注いだ出来事である。 
見とがめた弟子たちが叫んだ。 
「何でそんなもったいないことをするんだ! 
売れば300デナリ(300日分の賃金)にもなり、 
貧しい人に施すことができるのに!」。 
 
彼ら弟子たちの言い分は間違いではいない。正論である。 
しかしその正論がイエスを取り囲む空気を切り刻む。 
 
何が悪いのか? 
それは弟子たちの眼差しは「裁きの心」に満たされていることだ。 
自分の正しさを誇り、他者の過ちを一分も認めない...。 
そのような冷たさに支配されているのである。 
 
「この女性はわたしに良いことをしてくれた...」イエスはそう言われた。 
「わたしの葬りの準備をしてくれたのだ」とも。 
イエスの感じていた苦しさや緊迫感を、彼女がどれだけ理解していたかは分からない。 
しかし、十字架の苦難を前にしたイエスの「時」に、 
この女性は最もふさわしく接することができたのだ。 
 
イエスも時に「正論」を語られた。しばしばきびしく語られた。 
しかしイエスは「冷たい正論」を振りかざす人ではなかった。 
どうしても「正論」からは外れてしまう人の弱さや不完全さ、 
そういったものも深く受けとめてくださる人であった。 
 
私たちもそんなイエスにならい、冷たい正論を語るよりも、 
あたたかな愛をもって互いを受け入れ合える生き方を目指したい。 
 



『 あなたは大切なひとり 』 コリントの信徒への手紙 一 12:21−22 (6月15日 CS合同礼拝) 

おはなし 「50音村から小さな『っ』が消えた日」。 

50音の文字が暮らす村で、誰が一番偉いか、ということで論争が起こりました。 
一番最初に出てくるから自分が一番偉いと言い張る「あ」さん。 
使われる回数が一番多いから自分だと主張する「の」さん。 
少ないものにこそ希少価値があるはずだと意見を述べる「ぬ」さん。 
議論は堂々巡りです。 
 
その時誰かが叫びました。 
「誰が一番偉いかは難しいけど、誰が一番偉くないかは知ってるぞ。 
それは小さな『っ』だ。だってあいつは音を出さないからな!!」。 
そんな風に言われて悲しくなった小さな「っ」は、 
置き手紙を残して村から出て行ってしまいました。 
「ぼくはあんまり大切ではないので消えることにします。さようなら」。 
 
次の日みんなが目覚めると、村は大変なことになっていました。 
小さな「っ」がいなくなって、言葉の意味が通じなくなってしまったのです。 
「はっきりと断った」が「はきりとことわた」。 
「失態をさらす」が「死体をさらす」。50音村は大混乱です。 
「誰だ!小さな『っ』などいらないなんて言ったのは! 
あいつがいなければこんなに困るじゃないか!」。 
 
そこで文字たちは小さな「っ」に手紙を書き、村に戻ってくるよう頼みました。 
(小さな「っ」がいないので、少し変な言葉の手紙ですが...) 
 
「きみは確かに音は出しません。でも沈黙を作り出すことができます。 
他の文字たちはどんなに努力しても沈黙を作ることはできません。 
きみはとても大切な存在です。あんなことを言てごめんなさい。 
きみがいなくなて、本当にこまています。きみの帰りをずとまています。 
はやくかえてきてください。50音村のなかまより」。 
 
手紙を読んでうれしくなった小さな「っ」は村へ帰り、 
村は元通りの世界に戻りましたとさ。おはなしは「おしまい」。 

先週、東京・秋葉原で悲しい事件が起こりました。 
25歳の男の人が7人の人々を次々に無差別に殺したという事件です。 
この人は自分のブログにこんな言葉を書き続けていたそうです。 
 
「オレなんてこの世に存在しなくても、誰も困らないさ」。 
 
この人のそばにひとりでもいい、「あなたは大切なひとりだよ」ということを 
信じさせてくれる人がいたなら、こんな事件は起こらなかったかも知れません。 

「あなたは大切なひとりだよ」 

そう言ってくださるのがイエスさま、そして神さまだと聖書は教えています。 
そんなイエスさま、神さまを信じて生きていきましょう。 




『 洗礼って何だろう? 』   ヘブライ人への手紙12:1−3(6月22日) 
 
本日洗礼式が行なわれるあたり、 
改めて洗礼とは何か?ということについて考えたい。 
 
洗礼の意味づけについては、様々なことが聖書には記されている。 
そもそもはユダヤ教における「水の清め」という儀式であり、 
実際の血や漏出による「汚れ」を清める儀礼であった。 
それが次第に罪を悔い改め赦しを得る儀礼として受け継がれていった。 
イエスの時代、バプテスマのヨハネが行なっていたのがこの洗礼である。 
 
そのヨハネは「私の後に来る方は、 
水ではなく聖霊によってバプテスマを授けられる」と言った。 
それが具体化したのがペンテコステの出来事である。 
聖霊により弟子たちが古い生き方に別れを告げ、新しく生きるものされていった...。 
この体験にイエス・キリストの死と復活が重なり、また新たな洗礼の理解が生まれる。 
 
「イエスの死にあずかるバプテスマを受け、イエスと共によみがえる」(ローマ6章)。 
ここでは洗礼は新しく生まれ変わる劇的な体験として位置づけられる。 
確かに洗礼によって、主観的にこのような体験をすることはあり得るだろう。 

しかしどうだろうか。 
洗礼はすべての人にとってそのような「劇的」なものでなければならないのだろうか。 
洗礼を受ける前と受けた後では、まったく別の人間になっていなければならないのだとしたら、 
それは結構「重い」事柄である。 

けれども実際には、洗礼によって「人格が変わった」という体験を持つ人はそんなに多くはない。 
ほとんどの人は、「すぐに変わることはなかった。 
でもあとで振り返ってみたら、あの時を起点に、少しずつ変わっていった」というものであろう。 
それでいいのではないだろうか。 
 
洗礼を受けていない人のことを「まだ救われていない人...」と言い表す人もいる。 
しかしそうなると、洗礼は救いを得るための条件となってしまう。 
逆ではないか。 
神さまはすべての人を救うためにイエスをつかわして下さった。 
そのことに気付いた人が、それを信じる仲間に加わりたいと願う。 
その時に受けるのが、洗礼というものではないだろうか。 
洗礼を受けていない人は「まだ救われていない」のではなくて、 
「救われているということにまだ気付いてないだけのこと」と言えるのではないか。 
 
洗礼とは、プールに飛び込むことだと思う。 
プールサイドで見てるだけでは、水の冷たさも、泳ぐ苦しさや楽しさも分からない。 
泳ぎ方が完璧でなくても、とにかく実際に飛び込んでみる。 
そして自分の手足で泳いでいく。 
そうして「おびただしい証人の群れに囲まれて」(ヘブライ12:1)進んでゆくのが、 
クリスチャンとしての生き方なのだと思う。 
 



『 裏切り者・ユダへの言葉 』 マタイによる福音書26:14−25(6月29日) 

イエスを裏切ったと言われるユダ。 
しかし、いったいなぜ彼がそのような行動を起こしたのか、その真相は謎である。 
お金のためにイエスを売り渡した、という説もあれば、 
イエスがそうするようし向けた、という見方もある。 
いずれにしても、イエスはユダがそのような思いを抱いていることを 
うすうす気づいておられたと思われる。 
 
最後の晩餐の席で、イエスは「この中のひとりが私を裏切る」と言われた。 
弟子たちが次々に「主よ、まさかそれは私ではないでしょう?」 
そう尋ねたと記されているが、ユダが「まさか私では…」と言ったとき、 
イエスは「それはあなたが言ったことだ」(以前の訳では「それはあなただ」)と言われた。 

さらにイエスは、「人の子を裏切る者は不幸だ。 
生まれてこなかった方がその人のためによかった」...そう言われたと記されている。 
これはショッキングな言葉である。 

「あなたは生まれてこない方がよかった」... 

イエスが本当にこのようなことを言われたのか? 
もしそうだとするなら、この言葉はユダの心を刺し貫いたことだろう。 
 
その後、ゲッセマネの祈りの後、イエスを逮捕しようとする人々と共に、 
ユダが近づいてきて、イエスに挨拶のキスをした。 
するとイエスは「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われた。 
口語訳聖書では「友よ、何のために来たのか」と非難めいたニュアンスで訳されていたが、 
直訳すれば「同志よ、あなたが直面しているところへ(進んで行きなさい)」という言葉である。 
 
ユダは、イエスの言葉や生き様に共感したからこそ、イエスの弟子になったはずだ。 
しかしその後、少しずつ目指す方向が違っていったのかも知れない。 
最初は小さなほころびが、やがて修復できない溝となっていったのかも知れない。 
そんな中で別の道を行こうとするユダに向かって、 
イエスは「同志よ、あなたの信じた道を行くがよい...」、そう語られたのだと思う。 

一時は同じ思いを抱いて歩んでいたはずの仲間同士が、 
次第に方向性の違いから別々の道を行かざるを得なくなる... 
そういうことは私たちの生きる現実の中でも起こり得る事柄である。 
そんな時、別々の道を進もうとしている相手に、私たちはどんな言葉をかけることができるか? 

「何のために来たのか」「あなたは生まれてこない方がよかった」 
そんな非難の言葉しか語れないのであればそれはとても悲しい。 
 
「同志よ、たとえ道は別れても、あなたはあなたの直面しているところへ、 
信じる道へ進んで行ってほしい」そんな言葉を語れる者でありたい。 
 



『 愛されるよりも愛することを 』  ヨハネの手紙@4:7−12(7月13日) 

私たち人間にとって、もっとも心地よいと感じる体験のひとつは、 
誰かに自分のことを大切に思われていることを感じた時、 
すなわち「愛される」という体験ではないだろうか。 
多くの愛を受けた人は心豊かに育つことができる... 
私たちの経験はそのことを教えてくれる。 
 
しかし私たちが、その愛をただ受けるというポジションにだけとどまってしまい、 
それを人に与えようとしなければ、どうなってしまうだろうか。 
そこに現れるのは、自己中心的でわがままな、 
まるでモンスターのような人間ではないだろうか。 
 
ヘルマン・ヘッセの短編「アウグストゥス」は、子どもを生んだばかりの母親に、 
名付け親が「何でもひとつ、願いをかなえてあげよう」と申し出て、 
「この子が誰かも愛される子どもになりますように」という 
母の願いがかなえられるという物語である。 
すばらしい願い事をしたと思われたその子どもの、その後の運命が描かれている。 
 
確かに彼は誰からも愛されたのだが、 
そのことによって不遜で卑劣な夜郎自大の人間に成長してしまう。 
そして彼は人生に絶望し、自ら命を絶とうとしたその時、 
名付け親から母親の願い事について聞かされる。 
そして彼は、母の願いを消し去り、新しい願い事を申し出る。 

「私が誰からも愛されるのではなく、私が誰をも愛せるようにして下さい」。 

その後の人生は苦難や屈辱の連続となったが、 
彼は満足して人生を送ることができた。 
「愛されること」の中にではなく、「愛すること」の中にこそ、 
本当の生きる喜びがあることを彼は知ったのである。 
 
どんなに愛を注がれても、それを自分の中にだけとどめ置くだけで、 
自分からは人に注ごうとしない時、それは「腐って」しまう。 
与えられた愛を最も輝かせる方法、 
それは自分もその愛を人に注いでいこうとすることなのだ。 
 
「神がまず私たちを愛してくださった。 
だから私たちも互いに愛し合おうではないか」と聖書は語る。 
そのような生き方の中にこそ本当の豊かさがあることを、聖書は教えてくれる。 




『 よき隣人として 』   詩編67編(7月20日) 第3礼拝 
 
今回の『第3礼拝』では二胡の演奏を聴かせていただいた。 
中国四千年の歴史の中に生まれた音色は、アジアの人々の心に響くものがある。 
 
中国から比べれば日本の歴史は短い。せいぜい1500年くらいといったところ。 
その大半の時代は、日本が中国から様々な文化的影響を受けて歩んできた歴史である。 
漢字も、稲作も、儒教や仏教も、中国からの渡来であり、 
両国は友好的な関係の中で歴史を刻んできた。 
 
その関係に影を落としたのが、近代以降の歴史である。 
明治政府となり開国した日本は、欧米列強並みの近代国家を作ることを目指し、 
その結果、中国・朝鮮をはじめとするアジア諸国に侵略をしていった。 
太平洋戦争に日本が敗れるまで約50年間。 
この短い時代の流れが、その後の日中関係に深い亀裂を生むことになった。 
 
戦後、日本は奇跡的な復興と経済成長を果たす一方で、 
中国は共産主義革命により近代化が遅れるという結果となる。 
しかし近年になって、中国は目覚ましい発展を遂げようとしている。 
今年は北京オリンピック、2年後には上海万博、 
まるで40年前の高度成長期の日本を彷彿とする姿である。 
 
そんな中、日本と中国との関係はどうなっているか。 
巷の書店をのぞくと、中国に関する本がたくさん並んでいる。 
その大半は中国に対する批判や罵倒する内容の本である。 
現実にはいろいろな問題があるとしても、 
それを指摘する時の心情の根底にあるのが、悪意や敵意であるのは、 
あまりいいことではないと思う。 
 
「蘇州夜曲」という歌がある(西条八十作詞、服部良一作曲)。 
戦時中、日本の国策映画の主題歌として作られたため、 
戦後中国ではタブーとされていたこともあったらしい。 
しかしこの歌自体は、中国の風土や文化に対する深い敬意と 
愛情が感じられる、素晴らしい名曲である。 
この歌に込められたような思いを持って、 
よき隣人として向き合うことができれば素晴らしいと思う。 
 
 神よ、すべての民が 
 あなたに感謝をささげますように 
 諸国の民が喜び祝い、喜び歌いますように 
   (詩編67) 




『 義とされる(救われる)とは? 』    ガラテヤの信徒への手紙2:15‐21(7月27日) 
 
聖書で語られる「人間の救い」というものは、 
しばしば「義とされる」という言葉で言い表された。 
「神によって正しい者と認められる」、それが「義とされる」ということである。 
 
では人はいかにして義とされるか。 
旧約聖書の時代には、 
神と人との契約である律法にいかに忠実に生きるかが、その基準であった。 
しかし時代の流れと共に律法の条文は神格化され、 
「律法主義」という考え方がはびこっていった。 
イエスと対立した律法学者やファリサイ派の考え方だ。 
 
イエスはそんな形式的な律法主義の考え方に風穴をあけられた。 
律法の教育を十分に受けず、正しく守れないために「罪人」と呼ばれた人々に、 
イエスは律法学者から反発されることを覚悟で救いを宣言された。 
そしてその結果、十字架にかけられてしまったのである。 
 
このイエスの生き様に出会い、「この人こそまことの救い主だ」と信じた人々が現れた。 
それがキリスト教のはじまりである。 
「我々は律法の行ないによってではなく、あのキリストなるイエスによって『義とされた』...」、 
それがキリスト教の出発点である。 
 
「人は律法の行ないではなく、キリストへの信仰によって義とされる」。 
よく知られたパウロの「信仰義認」という考え方である。 
しかし「律法の行ない」が「キリスト”への”信仰」という言葉に変わったとしても、 
人間の側の振るまい(信じるか、信じないか)が救いにとって決定的であるのならば、 
それはやはりあくまで「自力」によって救いを得るということになり、 
新たな律法主義を生み出してしまうことになるのではないか。 
 
「ただキリストへの信仰によって義とされる」と訳された言葉は、 
「ただイエスの信実(まこと)によって義とされる」とも訳すことができる。 
この訳のスタンスに立つならば、そこでは私たちのふるまいが決定的なのではなく、 
救いはただイエスによって与えられる、つまり「他力」による救いということになる。 
このふたつの訳文に現れた考え方は、似ているようで決定的に違う。 
 
「信じた結果、その『信じた』という行為に報いる形で救われる」(自力) のではなく、 
「われわれの行為のいかんによらず、まずイエスの信実により救いが与えられた。 
だからわたしたちはそのイエスを救い主と信じる」(他力)、 
それが聖書の語る「信仰」であり、「救い」なのではないか。 




『 人間のいのち 』   ペトロの手紙 @ 3:10‐12 (8月10日 平和主日) 
 
63回目の広島、長崎の被爆記念の日を迎えた。 
今年になって、長い沈黙を破って被爆の経験を語る人が次々に現れている。 
63年たってもなお、語らねばならないことがある。 
あるいは、直接の被害を知る人がどんどん少なくなる中で、 
「今語り継いでおかねばならない」という気持ちになるのかも知れない。 

世界の現実として、一方では「場合によっては核兵器の使用もやむを得ない」 
そういう考え方もある。(『リアルポリティクス』) 
広島・長崎への原爆投下にしても、これによって日本の降伏が早まり、 
結果的に戦争の被害を少ないものにできた、との考え方もあると聞く。 
 
日本の政治家の中にも 「原爆投下で日本の降伏が早まり、 
ソ連の参戦の影響を最小限にしたことによって、日本が分断国家にならずに済んだ。 
だから原爆投下は『しょうがない』と思っている。」そう語った人もいる。 
 
しかし、どのような言説も、ひとりの米軍のカメラマンが軍の命令に背いて撮った写真、 
例えば背中一面をケロイド状に焼かれた民間人男性の写真を前に、 
説得力を失うように思う。 
 
「命を愛し、幸せな日々を求める人は、 
悪を避けて善を行ない、 
平和を求めて、これを追え!」  (第一ペトロ3:10、口語訳)。 
この力強い聖書の言葉を心に留めるものでありたい。 
 
「一本の鉛筆があれば、私はあなたへの愛を書く。 
 一本の鉛筆があれば『人間のいのち』と私は書く」 
             (『一本の鉛筆』 歌・美空ひばり)。 
被爆の体験から生まれた、この歌のメッセージを心に刻みたい。 
 



『 祭りのあと 』    マルコによる福音書9:2−9(8月31日) 

北京オリンピックが終わり、世界を巻き込んだ祭りの終焉に一抹の淋しさを覚える。 
「祭りのあと」には何とも言えぬ淋しさが伴う。 
夏の終わりに淋しさを感じるのも、 
「祭りの季節」が過ぎ去るのを惜しむ気持ちから来るものだろう。 
 
人間には「祭り」が必要である。 
文化人類学者では人間と祭りとの関係が次のように説明される。 

@狩猟社会から農耕社会に移り変わり、人間は定住生活を営むようになる(共同体の形成)。 
A穀物の開発により財産が生じ、共同体の構成員の間に軋轢が生まれる(貧富の差)。 
B農業は「未来のための労働」であり、その日常に対して人々はストレスを抱えるようになる。 

こういったエネルギーをため込んだままにしておくと、やがて争いや暴動に至る恐れがある。 
そこでそのようなエネルギーを発散させるために、祭りが行なわれるようになった、というのである。 
 
人々は祭りの高揚感の中で「今、生きている」という実感を味わい、 
充実感を味わった後、再び日常へと帰って行く。 
祭りと日常の繰り返しの中で、人間はいのちを味わいながら生きていくということである。 
 
「祭り」はまた多くの場合、宗教とも関係する。 
祭りの中で神に祈ることと、日常の歩みとの関わりを、 
宗教学では「ハレとケ」と表現する。 
 
イスラエルでは古代ユダヤ教の時代から、6日間労働し、 
7日目には安息日・神に祈る日として暮らしが営まれてきた。 
「ハレとケ」の繰り返し、それが私たちの礼拝の原点である。 
私たちのささげるこの礼拝も、ひとつの祭りであれば、と願っている。 
 
イエスと弟子たちが山に登り、栄光に輝くキリストの姿にまみえた。 
恐れと興奮の思いに包まれた弟子たち。 
それは一種の「祭り」の体験だったと言えるだろう。 
しかしイエスはその「栄光の山」を降りられる。 
そして自分の歩むべき日常の世界、すなわち「祭りのあと」に向かわたのだ。 
 
私たちの周りにはたくさんの人造の「祭り」がある。 
そんな中で、神と交わる「祭り(=礼拝)」を大切にしながら、 
同時に自分の生きるべき日常(=祭りのあと)をも誠実に歩む者でありたい。 




『 多数決で人は裁けるのか? 』  マタイによる福音書26:57−68(9月14日) 
 
来年から裁判員制度が始まるが、その準備のための「模擬裁判」に関わったことがある。 
架空の事件の裁判を見て、その案件について6人の裁判員と3人の裁判官とが別室に集まり、 
話し合いを重ねて合意にたどりついて判決を下すわけだが、 
その話し合いの進め方について少し違和感を感じる場面があった。 
それは評価の分かれた部分について、 
進行役の裁判官が「ではこの部分はこちらの意見が多数ということで…」と、 
多数決の論理で進めようとしたことだ。 
 
『12人の怒れる男』という、古いアメリカ映画がある。 
アメリカの裁判のシステムに組み入れられた陪審員制度をテーマにした映画である。 
ある殺人事件が起こり、容疑者の少年が逮捕され、裁判が行なわれた。 
最初陪審員のうち被告を有罪とする陪審員が11名、無罪が1名であったが、 
話し合いを進めるうちに思い込みや偏見が糺され、次々に無罪の意見に変えられてゆく... 
そんな物語が描かれていた。 
 
途中、意見が拮抗しもう一歩も前に進めないように思える状況の中、 
苛立った有罪側の男性が「これ以上何を話せばいいのだ。 
もうやることはすべてやったじゃないか!」と声を荒げるのに対し、 
最初から無罪を主張し続けてきた主人公がポツリと言う。 
「…話し合いましょう」。 
簡単に多数決に頼らず、真実を求めて話し合っていこう、それが真の民主主義だ…。 
映画はそんなことを物語っていた。 
 
今日の聖書の箇所は、イエスの裁判の場面である。 
この裁判が、偽証と不利な証言に基づく、まったく無法なものであったことは明らかだ。 
しかしそれでもイエスは有罪判決を受け、処刑されてしまう。 
その判決の根拠はただひとつ、「多数決」だ。 
 
いったい、人を裁くのに「多数決」は最善の方法だろうか? 
「否」である。なぜならば、多数の意見がいつも正しい訳ではないこと、 
人間は常に誤り得る存在であることを私たちは知っているからである。 
多数決で事を決めて進めることが必要な場面も、もちろん数多くある。 
しかし、こと「人を裁くこと」に関しては、簡単に多数に流れてしまわずに、 
多数の意見の中に埋もれる真実に謙虚に心を傾けることのできる者でありたい。 
 



『 裏切り者の名を受けて 』     マタイによる福音書26:74−27:5(9月28日) 
 
「裏切り者」という言葉は、私たちの心に重くのしかかる言葉である。 
誰かを裏切ったことに対するうしろめたさは、 
他の「悪さ」に比べても後味の悪い感触を心に残す。 
「法律に違反すること」をなりわい(?)としている人たち(ギャング等々)でさえ、 
組織や親分を裏切ることは決して許されない御法度である。 
 
誰かを裏切るということは、私たちにとってそれほど大きな大罪である。 
それは言い換えれば、私たち人間は「自分に向けられた信頼に応えること」を 
何よりも大事にしながら歴史を重ねてきた存在であることの証しとも言える。 
 
しかし、そうは言っても、 
それでも私たちは人からの信頼に100%応えられない弱さを抱えて生きている。 
「私は生まれてこのかた、誰一人も裏切ったことがない!」 
そのように胸を張って断言できる人は、ほとんど存在しないだろう。 
私たちは決して理想通りの立派な生き方だけを送れるわけではない... 
その事実を認めざるを得ない。その事実から始めざるを得ない。 
 
新約聖書に記された、二人の裏切り者の物語である。 
ひとりはユダ。 
2,000年のキリスト教の歴史の中で、 
常に「裏切り者」の名を被せられてきた人物である。 
「金のためにイエスを売り渡した」(マタイ)という記述を前提とすれば、 
ユダの裏切りは「積極的裏切り」と言えるだろう。 
 
もうひとりは、ペトロ。 
その後初代教会の指導者にまでなったイエスの一番弟子であるが、 
彼もまたイエスを裏切ったひとりである。 
イエスが刑場へと引かれて行く時、「お前もあの男の仲間だろう」という追求に、 
「あんな人のことは知らない」と返すといった「消極的裏切り」ではあるが。 
 
この二人の姿を読んで、私たちは何を思うだろうか。 
「わたしたちの心の中には、ユダもいるしペトロもいる。」 
そういう受けとめ方が大切ではないかと思う。 
それは決して楽しい愉快なことではないが、 
神さまの前に誠実に生きようとするならば、避けて通れない道だ。 
 
ユダはその後、自ら命を絶ったと記されている。 
彼は自分自身に絶望してしまったのだろう。大変残念な最後だと言える。 
 
一方のペトロは、その後も長く生きる。 
そしてやがて教会の指導者としての立場にも立ってゆく。 
「よくもまぁずうずうしく...」という批判を向けることもできるかも知れない。 
しかしペトロは背負おうとしたのではないか。 
「裏切り者の名を受けて」、それでも生きる道を。 
 
それは彼が強かったからではない。 
「こんな弱い自分にも神さまの愛が注がれている。」 
そんな神さまの愛を、そして赦しを信じることができたからに違いない。 
 



『 世界がひとつになるときまで 』    ヨハネによる福音書17:20−23(10月5日) 
 
世界聖餐日の礼拝である。 
「聖餐はキリストを信じる人々をひとつにする儀式」ということが言われる。 
しかし現実には、キリスト教会は一枚岩ではなく、 
様々な教派に別れてしまっている現実がある。 
分裂の原因の一つが「聖餐をめぐる理解の違い」であったことは、皮肉なことである。 
そしてこの分裂の危機は、現代の教会(日本基督教団)にも忍び寄っている。 
 
教会に限らず、世界は一見すればバラバラで、 
経済や文化の違い、そして宗教の違いで分かれ争っている現実がある。 
しかしだからこそ、その現実に慣れ切ってしまわずに、 
世界が「ひとつになる」という日を願い求める思いを持つことも大切なのだと思う。 
 
十字架の死の前夜、イエスが弟子たちの行く末を案じて祈られた祈りの言葉は、 
「彼らがひとつとなりますように...」という言葉であった。 
放っておけばバラバラに雲散霧消してしまうかも知れなかった弟子たち。 
しかし、このイエスの祈りが彼らをそれでもひとつに結びつけ導いてくれた。 
 
「世界がひとつになる」とは、どういうことか? 
お互いの違いがまったく無くなり、人間が同質化してゆくということか? 
キリスト教という一宗教が世界を席巻し支配する、そんな世界になることか? 
どうも私にはそんな世界が想像できない。 
 
むしろ、ひとりひとりは違っていて、その違いを排除し合う根拠としないで、 
むしろ認め合い言い分を聞き合って「共に生きる」世界。 
それこそがイエスの求められた「ひとつになること」ではないだろうか。 
 



『 神と人との関係 』     出エジプト記20:1−7(10月12日) 
 
会津藩に伝えられていた『什の教え』は、 
武士の心構えについての様々な教え(禁止命令)であるが、 
その最後に、「ならぬことはならぬものです。」という言葉が加えられている。 
「人の道に反することは、理屈ではなく、慎まねばならない。」 
そんな志がうかがえる言葉である。 
 
しかしこの強い言葉も、それが通用する「共同体」があったからこそ機能したと言える。 
現代の若者にいきなりこのような言葉を向けても、「オヤジの戯れ言」で終わりかねない。 
ある「教え」が意味あるものとなるためには、その前提となる理解や共感が必要だ。 
 
『十戒』の第一戒には、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」とある。 
唯一の神を信じる信仰=「一神教」と呼ばれる信仰の原点である。 
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教がこの「一神教」という範疇に含まれている。 

「ただひとりの神を信じる」とはどういうことか? 
「自分たちの信じる神さまだけが正しい神であり、他の信仰のあり方は間違いだ」 
そう言って、他宗教の存在を否定することか? 
そう考える人もいるのは事実だが、私はそれはとても残念な考え方だと思う。 
 
むしろこう考えてはどうだろうか。 
「世の中にはさまざまな神さまについての考え方がある中で、 
わたしは聖書に記されたこの『ただひとりの神』を信じる道に立つ」。 
「神々の宗教」という考え方もある中で、自分は「唯一の神」を信じる、ということだ。 
 
古代イスラエルの民も同じ境遇に置かれていた。 
周辺の、「神々の信仰」を抱く民族に囲まれる中で、 
ユダヤ人は「ただひとりの神」を信じようとした。 
ではなぜ彼らはその神を信じたか? 
それは、この神こそ「あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神」、 
すなわち「解放の神」だからである。 

様々な重荷やしがらみから人々を解放し、 
生き生きとしたいのちを回復させて下さる神。 
そんな神さまを信じる。 
それが聖書の示す「神と人との関係」である。 
 



『 「わたし好みの神さま」でなく... 』    出エジプト記20:1−7(10月19日) 

TV番組で、東北地方に伝わるある古い仏像の話題が報じられていた。 
その村では年に一度、春の田植えの前に村人総出で山に登る。 
そして土の中に埋めてある仏像(6世紀頃から伝わる)を掘り出して、 
豊年満作を祈願した後、再び土の中に埋め戻す。 
 
注目したのは、その埋めてある場所を知っているのは「一子伝承」、 
つまりその村でただ一人の男性だけが知っているのであり、 
そして何と、その人はその村の神社の宮司さんということであった。 
 
仏像のありかを知っているのが、神主さん...。何とも日本的な状況である。 
その節操のなさを批判することもできるのかも知れない。 
しかし千年以上の月日にわたってたったひとりだけに大切な仏像の隠し場所を伝えてきた、 
その思いには何か感じるものがある。 
それは仏像のご利益を、誰かが抜け駆けして独占することを、 
防ごうとしたためではないだろうか。 
 
村人がアナウンサーから「今年は豊作になりそうですか?」との質問を受けて、 
「いや〜、それは神さまが決めることですから...」と答えていた姿に、素朴な信仰を感じた。 
 
旧約聖書・十戒では偶像崇拝が禁止されている。 
「刻んだ像を拝んではならない」ということで言えば、 
ここでは仏像を拝むことも否定されねばならないと言える。 

しかしキリスト教の歴史にもイコン(聖画)といった文化も存在した。 
「像や絵そのものが神さまだ」という考え方は肯定できなくても、 
形有るものの中に何かを託すというイマジネーションは、 
人間に与えられたひとつの能力とも言える。 
十戒の規定は、そのイマジネーションすら切り捨てよ、ということなのだろうか? 

問題は「像を拝む」という行為そのものにあるのではないだろう。 
「この像にひれ伏して拝んでおけば、自分の願望がかなえられる」 
そんな風に、自分の欲望に都合良く応えてくれる神さまを求める行為、 
簡単に言えば「わたし好みの神さま」を求める信仰こそが批判されているのだ。 

「神の名をみだりにとなえてはならない」というのも同じ理由からだろう。 
神さまの名前を出すことによって、自分の思い通りに事を進めようとする、 
そのような人間のご都合主義の行為がここでは禁じられているのである。 
 
逆に言えば、刻まれた像を前に、そこに込められた信仰心に心打たれ、 
自分を超えた大いなる存在に思いを寄せることができるならば、 
たとえそこに刻んだ像を拝むという行為があったとしても、 
それは「偶像崇拝」ではないのだと思う。 
 
「わたし好みの神さま」を求める信仰を見つめ直し、 
「ただ神を神としてゆく」...それが偶像崇拝から離れる道である。 
 



『 人が いきいきと生きるために 』    出エジプト記20:8−11(10月26日) 
 
古来よりユダヤ人は安息日を守ってきた。 
それは何よりも労働で疲れた身体を休め、家畜や働き人に休息を与えるためであった。 
しかしただ休むのではなく、礼拝を通して神に祈りをささげる日でもあった。 
キリスト教もそれを引き継ぎ、週に一度の礼拝を守っている。 
 
家畜は休息を与えれば元気を回復するだろう。 
しかし人間にはそうではない面もある。 
人間は「生きる意味」を求める存在であり、 
「生きる喜び」を与えてくれる何かが必要である。 
 
現代の私たちにとって、その「生きる喜び」を与えてくれるもののひとつに「レジャー」がある。 
娯楽、旅行、コンサートやスポーツ観戦など、 
楽しいことがあるから毎日の辛い仕事にも耐えられるという一面がある。 
それも人間にとって大切な営みであることは否定できない。 
 
しかし、レジャーは人間が作り上げたシステムである。 
そうではないところに自分の生きる意味を見つめ、 
毎日をいきいきと生きるための活力の源泉を求める営みがある。 
それが「礼拝」である。 
私たちに命を与えて下さった神さまとの関りの中で、自分の人生の意味を尋ね求める。 
そうすることによって生きる意味を再確認し、いきいきとした人生を取り戻すのである。 

ところがいつしかこの安息日が、本来の意味を離れて、 
「この掟を破ったものには罰則じゃ!」といった形で無理強いされるようになっていく。 
その歪んだ姿を批判し、本来の形に戻そうとしたのがイエス・キリストだ。 
「安息日は人のためにある。人が安息日のためにあるのではない」。 
 
自分のことだけを考えて生きてきた人が、週に一度、神さまや世界のことに思いを巡らす。 
そしてそこで本当のいきいきとした生き方を見つけ、再び歩き出す。 
そんな礼拝を大切にしたい。 
 



『 天上の友と共に生きる 』   フィリピ3:20−4:1(11月2日) 
 
10月はじめ、教会にYMCAのチャリティのじゃがいもが届いた。 
注文して下さったのは今年の9月8日に急逝されたIさんだった。 
教会員のMさんは、9月7日の夜、Iさんからの電話を受け取られた。 
「Mさん、今年もじゃがいもの注文よろしく」「わかりました。では一箱...」。 
その翌日、Iさんは急逝され、知らせを受けたMさんは絶句された。 
そして一ヶ月後、Iさんが亡くなられた後に、生前のご注文の品が届いたのだ。 
 
今年で20回目を迎えたCSのハロウィンパーティ。 
今でこそ人気のイベントだが、20年前は今ほどの認知度はなかっただろう。 
その20年前の行事に中心になって関わって下さっていたのが、 
今年の2月に召天されたSさんだった。 
得意のエレクトーンの演奏で、パーティを楽しく盛り上げて下さっていた。 
 
昨年末に召されたTさんの奥様・Y子さんのところには、 
お葬式の後しばらくたってから、一枚の感謝状が届いた。 
生前のお働き(婦人科医師としてご尽力)に対する感謝状であった。 
Tさんはご病気となり体調を崩しながら、亡くなる直前まで勉強して、 
マンモグラフィー(乳ガン検査装置)の技術の習得につとめておられたという。 
 
今年の夏のCS余島キャンプで繰り返し歌った歌、「薪のような人になろう」は、 
5月に召されたK助さんとの関わりの中で生まれた歌だった。 
「自分の身を燃やして明るさや暖かさを届ける、そんな人になろう...」。 
これはYMCA余島キャンプでの、K助さんの十八番のお話しだった。 
そんな言葉から生まれた歌を、こどもたちと何度も歌いながら、 
こみ上げてくるものがあった。 
 
亡くなられた方との関わり・つながりというものを、 
召された後の日常の、ほんの小さな事柄の中に感じさせられることがある。 
ある意味でそれは、ご存命中よりももっと確かな、 
ありありとしたつながりのように感じられることすらある。 
 
そのような体験をする時にいつも思う。 
「天上の友と共に生きる」とは、こういうことなんだ、と。 
 
教会は肉親の交わりを超えて「天上の友と共に歩む」集いである。 
「わたしたちの本国は天にあります。」(フィリピの信徒への手紙3章)。 
この信仰が、私たちを結び合わせる絆である。 

天上の友のことを思い、ただ懐かしい思い出に浸るだけではなく、 
その天上の友が大切にされたことを自分も大切に心に抱きながら、 
自分自身に与えられた日々を大切に過ごす者でありたい。 

            (召天者記念礼拝) 

『 親と子の絆 』   出エジプト記20:12、マルコ3:31−35(11月9日) 
 
東神戸教会恒例のハロウィンパーティは、まるで現代版七五三の様相で、 
子どもたちの成長に目を細める親御さんたちの思いが溢れるイベントとなっている。 
今年も様々な衣装に身を包ませる親の姿に、子どもに対する暖かな愛情を感じた。 

親と子の親密さは、他人から言われるまでもなく「あたり前」のこととして備わっているものだ... 
私たちはそんな風に思っているのではないか。 
「それなのに、十戒で『父と母を敬え』などと、どうしてわざわざ命じる必要があるのか」と、 
いぶかしく思う人もいるかも知れない。 
 
しかし、親と子の関係というものは、なかなか複雑なものである。 
いつもいつも親密な愛情溢れる思いで向き合っているか、と言われると、 
そうとは言えない現実をいくつも自分の身に覚える。 
親子だからこそ疎ましく思えること、親子だからこそ干渉してしまうこと、 
そういったものはどの親子にも存在すると思うのだ。 
時には憎しみすら感じる、それが実は赤裸々な親子の関係である。 
 
旧約聖書の記し手たちは十分そのことをわきまえていた。 
だから、十戒の中に「父と母を敬え」という神の声を聞き取ったのではないか。 
それは自然な感情に任せれば勝手に生まれるものではなく、 
努力する目標として定められたものだと言えるだろう。 
 
では、具体的に父と母を敬う、とはどういう行為を指すのだろうか。 
いつも感謝の言葉を口にすることか。贈り物やお世話をすることだろうか。 
それも悪くないが、最も喜ばれること、 
それは、その子ども自身が生き生きとした人生を歩むこと、 
親と子が、互いに「生まれてくれてありがとう」「生んでくれてありがとう」 
そう思い合える人生を送ることだと思うのだ。 
 
イエスはそのような暖かなつながりというものを、 
「肉親」の間に止めおかず、神を信じる人々の間にも広げようとされた。 
「神の御心を行なう人は、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」(マルコ3:35)。 
肉親の情というものは、しばしば人間関係を閉鎖的にしてしまうことがある。 
イエスはその閉鎖性を超えた世界、「神の国」を目指しておられた。 
その思いの広さにも心を留めたい。 
 



『 はんぶんこ 』(CS合同収穫感謝礼拝)   ネヘミヤ記8:10(11月16日) 

紙芝居『あんぱん』と、絵本『しんせつなともだち』を読みました。 
『あんぱん』に出てくる「欲張りくん」は 
あんぱんをひとり占めして、最後は自分が困ってしまいましたね。 
一方の『しんせつなともだち』では、仲間のために食べ物を届け合っているうちに、 
最後は自分のところに戻ってきた、というお話しでした。 
 
みなさんはどっちの方が好きですか? 
子どもの頃、僕は「欲張りくん」みたいな子どもでした。 
でも今は『しんせつなともだち』みたいな人になれたらなー、と思います。 
どうして変わってきたかって? 
そのわけを話す代わりに、ひとつのお話しを聞いて下さい。 
 
昔々、人間がまだ洞穴に住んでいた頃のこと。 
その頃はまだ町や村もなく、人々は小さな集団を作って生活をしていました。 
集団で狩りに行って、獲物が捕れたらごはんが食べられる。 
獲物が捕れなければお腹を空かせるしかない。そんな時代です。 
 
その頃の人間の化石が発見されました。 
死亡推定年齢45歳、これは当時の人間としては「超」長生きの歳で、 
今で言えば百歳くらいの年齢です。 
この人は右の目が不自由でした。 
また右腕が肘から下がなく、手も不自由な人でした。 
この人は狩りができません。自分で獲物を捕ることができません。 
それにもかかわらず、平均寿命よりも長く生きられたのです。 
なぜか?それは周りの人々がこの人に獲物を分けてあげたからです。 

他の自然界の生き物は、自分で獲物が捕れなくなれば死ぬしかありません。 
でも人間は違う。「はんぶんこ」ができるのです。 
どうして人間は「はんぶんこ」ができるようになったのか? 
そうしないとお母さんに叱られるから? 
違います。 
それは「はんぶんこ」した方が「気持ちがいいから」です。 
人間とは「はんぶんこするのは気持ちがいい」という心を持った生き物なのです。 
 
ネヘミヤさんは、イスラエルの国が一度滅ぼされた後、 
帰ってきて国を立て直した人です。 
そのエズラさんが悲しみの中にいる人々に向かって 
「良い肉を食べ、甘い物を飲み、喜びなさい。 
 食べ物を持っていない人には分けてあげなさい。 
 主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」と語りました。 
神さまの前で「はんぶんこ」しながら共に生きることが大切なのですね。 
 
収穫感謝の喜びを、ひとり占めするのでなく、 
「はんぶんこ」できる心を持ちたいですね。 
 



『 ありがたし、よしえやし 』    ルカによる福音書1:26−38(11月30日) 

日本語の「ありがとう」という言葉は、世界でも珍しい否定形の感謝の言葉であり、 
元々は「あり得ない」という意味である。 
「よしえやし」は、現代ではあまり使われない言葉だが、 
その意味は「えい、ままよ」「なるようになれ」、 
さらに「こうなったら辛くても受け入れるしかない」というニュアンスも合わせ持つ。 
英語では“Let it be”であり、スペイン語では“ケ・セラ・セラ”である。 
 
このふたつの言葉の間に揺らいでいるのが、 
受胎告知を受けたマリアの心境ではないかと思う。 
天使がいきなり現れてマリアに告げたのは、 
まだ結婚していない彼女に子どもが生まれるということ、 
そしてその幼な子は世を救う働きをする、ということであった。 

何の心の準備もできていなかったマリアは 
「どうしてそんなことがあり得ましょうか」とためらい、拒絶の反応を示す。 
「有り難し=あり得ない」である。 
 
しかし、続いて天使からその出来事の意味を告げられると 
「お言葉通りこの身になりますように」と変わってゆく。 
「よしえやし=Let it be=ケ・セラ・セラ」である。 

この心境の変化に何の躊躇もなかったのであろうか? 
そうではないだろう。 
「なんで私が?あり得ない、あって欲しくない」という気持ちを抱えながら、 
それでもそこに神のご計画があるのなら身を委ねるしかない...。 
そんな思いで絞り出したのが「お言葉通り...」という言葉だったのではないか。 

その直後の『マリアの賛歌』では 
「私の魂は主をあがめ...神を喜びたたえます」という言葉が生まれている。 
マリアの「有り難し=あり得ない」が、「よしえやし」を通して、 
本当の意味での「有り難し=感謝」へと変えられていくのである。 
 
私たちの人生にも「あって欲しくない」という出来事がしばしば起こる。 
それを「よしえやし」と受けとめつつ、 
それがいつの日か「ありがたし」へと変えられる日を望み見たい。 
 



『 神と人との冒険 』   マタイによる福音書1:18−25(12月7日) 

ヨセフは、婚約者のマリアが結婚前に幼な子を身籠もっていることを知らされる。 
「彼は正しい人であったので、ひそかに離縁しようとした」とある。 
ここでのヨセフの「正しさ」とは何だろうか? 
 
律法の規定に忠実に歩み、そこから外れることを許さない「正義の人」だったのか? 
しかしそれはイエスと対立したファリサイ派の姿と重なる。 
イエスの父がファリサイ的な「正しいけど冷たい人」であった、という解釈は、 
どうしても馴染まないものを感じてしまう。 

我が家の末っ子は、家族の中で「ミスター・ルーティン」と呼ばれるほど規律正しい子である。 
毎日決まった時間に起き、ひとりで朝食を取り、部活の朝練に出かけてゆく。 
親に起こされたことも、寝坊したこともない。 
家に帰ると、決まった時間にフロに入り、決まった時間に夜食を食べる。 
そのサイクルを乱さず、几帳面に自分の「ルーティン・ワーク(決まった日常の仕事)」をこなす。 
「ずぼら」で「アバウト」な両親から、なぜこのような子が生まれたのか不思議である。 

不器用なまでに「ルーティン」に忠実であろうとする、きまじめな「正しさ」。 
それがヨセフの「正しさ」だったのではないか。 

律法に忠実に従うならば、結婚前に幼な子を身籠もったマリアは、 
姦通の罪を疑われ、「石打ちの刑」に処せられなければならない立場であった。 
「それは何とか回避したい、回避せねばならない...。 
 だからといって律法の決まり事に反する行動を取るわけにもいかない...。」 
自分が守るべき律法の条文と、現実に起こった出来事の前で悩むヨセフ。 
マリアの懐妊を公にせず「ひそかに」離縁する、という行為は、 
彼にとっては、自分の取り得る「ギリギリ」の選択だったのかも知れない。 
 
そんな彼に、神の使いが告げる。 
「心配せずに妻を迎え入れなさい。その胎の子は聖霊によるのである。 
生まれ来る幼な子は、やがて世界を救う働きをするようになる」。 
この言葉を受けてヨセフはマリアを受け入れ、幼な子の父となる決意をする。 
それは「正しい人」ヨセフにとっては、とても大きな冒険であった。 

アドベントは、神の救いを「思い切って」受け入れる、「冒険=アドベンチャー」の時ではないだろうか。 
自分の「正しさ」だけを頼りに生きるのではなく、自分の力だけを信じて生きるのでもない。 
神の導きに身を委ねる生き方。それは私たちにとって、一種の「冒険」である。 
 
そして、神さまにとっても、“人間”というこのやっかいな存在に、 
それでも救いを与えようと関わって下さるということは、 
とてもとても大きな冒険なのではないかと思う。 
 
神と人との冒険が交差する時、それがアドベントの季節なのである。 




『 センス・オブ・ワンダー 』  マタイによる福音書2:1−12(12月14日)

師走のはじめの日の夜、
空には三日月と木星・金星による珍しい三角形ができたそうだ。
まるで三日月が口、二つの星が目みたいな位置に並んで、
ニッコリと微笑むように空に浮かんでいたという。

ところが私はその夜、外を歩いていたにもかかわらず、
この絵巻を見ていなかった。
風邪をひいて具合が悪く、うつむいて歩いていたからだ。
あるいはその光景を目にはしていたのかも知れないが、
心にとめることはなかった。
病気や悩みや憤りを抱えているとき、
私たちの心は隣人や世界に対して閉じられてしまい、
目では見ている風景も「本当には見ていない」ということが起こる。

イエス・キリストの誕生の際にも、不思議な星が輝いたという。
東方の占星術の学者たちがその星を見て
「何か新しいことが起こるかも知れない」そう感じてユダヤにやってきた。
しかし学者たちから「新しいユダヤ人の王の出現」を聞かされた人々、
ユダヤ王・ヘロデや、一部のユダヤ人は「不安を感じた」と記されている。

学者たちの心は新しい出会いに向けて開かれているのに対し、
ヘロデやユダヤ人の心は閉じられていた。
彼らの心は自分の利益や立場にしか関心が向けられておらず、
ヘロデはついに幼な子の暗殺という残虐な行為を企てるに至った。
「救い主の誕生」という出来事に、ふさわしい姿で臨むことができたのは、
星の出現に不思議な驚きを感じ、
新しい出来事に対して心を開いて向かっていったあの学者たちだけであった。

作家レイチェル・カーソンはその遺作「センス・オブ・ワンダー」の中で、
「美しいもの、未知なもの、神秘的なものに対して目を見張る感性」を
"Sense of wonder"と名付け、その大切さを語っている。
「不思議だなぁ...」と感じる心は、すべてのこどもたちに与えられた感性であり、
これを持ち続けることは大人になってもその人を支える力になる、というのである。

私たちも、とかく閉じ籠もりそうになる自分の心を開き、
「不思議だなぁ...」とわき起こる思いで空を見上げ、
心を世界に、そして他者に向かって開いてゆくことを大切にしたい。
私たちの心が「wonder=不思議さ」で満たされるとき、
それは「wonderful=素晴らしい」出来事となる。


 ♪ふしぎだな♪ (クニ河内)

 ふしぎだな ふしぎだな 

 朝ってなんだろう 夜ってなんだろう
 空ってなんだろう 海ってなんだろう
 人ってなんだろう 夢ってなんだろう
 歌うってなんだろう 愛ってなんだろう

 楽しくて おかしくて くやしくて 悲しくて
 広くって あたたかで 見えなくて 生きている

 出会うってなんだろう 別れってなんだろう
 生まれるってなんだろう 死ぬってなんだろう 

 ふしぎだな ふしぎだな 




『 Yes, we can! 』  ルカによる福音書2:8−20 (12月21日 クリスマス礼拝)

ルカによると、救い主の誕生がユダヤの中でまっ先に知らされたのは、
当時の社会では蔑視され、貧しい境遇を余儀なくされていた羊飼いたちであった。
この物語を読んだ人たちは「どうして羊飼いたちなんかに?
他にもっとふさわしい人がいるはずなのに...」と思ったことだろう。
神の選びは「自分こそふさわしい」と思う人にではなく、
周りから「ふさわしくない」と思われている人に向かうということである。

天の使いの栄光が羊飼いたちを照らしたとき、
彼らは「非常に恐れた」と記されている。
「神の救いを告げられる」という体験が、なぜ「恐れ」を生み出すのか?

それは、本当の神の救いとは「人を作りかえる」という出来事であり、
我々人間は、自分が変えられることをあまり好まないというホンネを
どこかに抱いているからではないだろうか。
人間とは、本質的には保守的な生き物である。
「そこそこの変革ならよいが、根底から変えられるのは困る」と。

時には困難な状況にある人でさえ、
その困難さをから抜け出す道のりの厳しさを思うあまりに、
心ならずもその困難な状況に「居着いて」しまうことすらある。

しかし羊飼いたちは、天使の言葉を受けて救い主を見に出かけていった。
自分たちの困難な状況に閉じこもってしまうのではなく、新しい世界へと向かっていった。
そして神の救いの到来を、人々に告げ知らせる役割を担っていったのだ。
「大丈夫、僕らにだってそれはできる。Yes, we can!」と。

「Yes, we can !」。
言わずと知れた、次期米国大統領、バラク・オバマ氏のキャッチフレーズである。
奴隷制時代から差別を受け続けてきた黒人として、
彼が歴史上初めての大統領に選ばれるまで、長い苦難の道のりがあった。
そこには例えばキング牧師のような優れたリーダーの働きも欠かせなかった。
オバマ氏自身の魅力やカリスマ性も、当選の大きな要因だったと言えるだろう。

しかし、キングやオバマだけが公民権運動を担ってきたわけではない。
キング牧師等の呼びかけに応えて、運動に参加した名も無き市井の人々。
殴られても、蹴られても、やり返さずに歌いながら歩き続けた人々。
そんな人々の歩みがあったからこそ、運動は途切れることなく続けられ、
その小さな積み重ねが、やがて国の歩みを大きく変える力となった。

そういった人たちの存在を象徴するように、オバマ氏は繰り返し叫んだ。
「Yes, I can ! (私はできる)」ではなく、「Yes, we can!(私たちはできる)」と。

神の救いの出来事を担うことができるのは、特別に選ばれた優秀な人間だけではない。
むしろ名も無き市井の人々の働きこそが大切なのだということを、
公民権運動を担った人々や、クリスマス物語の羊飼いの姿は示してくれる。




『 終わりの日にほほえみを 』 ルカによる福音書2:22−32(12月28日)

10月に肝臓ガンで亡くなった俳優の緒方拳さん。
遺作となったTVドラマの撮影では、
闘病しながらそれを誰にも告げず仕事を続けられたという。
「生きているものは必ず死を迎える。でも、死は恐れるものではないんだよ」。
                      (ドラマ『風のガーデン』)
ドラマの中で語っておられたこのセリフは、
緒方さんが自分自身に向けて語られたメッセージだったように思う。
やるべき仕事をやり終えて、地上での命の最後の時、
きっと緒方さんは微笑んでおられたことだろう。

クリスマス物語の後半、幼な子イエスが両親に連れられて神殿に上った時、
シメオンというひとりの老人と出会ったことが記されている。
敬虔な信仰者であった彼は
「救い主に会うまでは死ぬことはない」とのお告げを受けていた。
これは光栄なことだろうか?祝福だろうか?
必ずしもそうは言えないのではないか。

手塚治虫の名作、『火の鳥』で描かれているのは、
不老長寿を貪欲に求める人々の姿である。
しかしながら手塚はその「『永遠の命』を手に入れた人への祝福」ではなく、
むしろその人の孤独と悩みを描き出す。
そして人間の命には限りがあること、
だからこそ人は幸せな一生を送ることができるのだ、というメッセージを語るのである。

シメオンに告げられたさだめは、彼の心に重くのしかかっていたのではないかと思う。
「あぁ、今年もまた神の救いに遭遇できなかった...」
そんな失望の積み重ねは、重く辛い体験だっただろう。
しかしそんな彼にも遂に約束の成就の日がやって来る。

幼な子イエスに出会えた時、「これで安らかに去ることができます」と彼は言った。
その時、シメオンの年老いた顔にはほほえみが広がっていたことだろう。

「シメオンさんはいいよね。神の救いの到来を見ることができたのだから。
 でもそれを見れずに死んだ人は不幸だ...」― はたしてそうだろうか?
メシヤの到来に立ち会えずに亡くなった人すべてが
失意にうちに顔を歪めて旅立ったわけではないだろう。
「自分の存命中ではなくても、いつか必ず神の救いは与えられる。」
そう信じて終わりの日を迎え、そこに充実を覚える生き方だってあるのではないか。
最後の日に笑えるかどうか。
それは神の救いを体験できたかどうか、ではなく、
それを信じることができたかどうかというところにあるのだと思う。




 
 
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